孤独な放浪者〜シューベルト物語〜 ひのまどか(著)

ひのまどかさんのシューベルトの伝記を読みました。とても良い本でした。

孤独な放浪者

他人の苦しみや他人の喜びを、本当に理解できる人間なんていやしない。人はいつも助け合っているように思っているけど、そのじつ、ばらばらに生きているにすぎないんだ。そのことを知ってしまったのは、なんて悲しいことだろう。

彼は健康な友人達の中にいればいるほど、孤独を感じた。上辺とは正反対に、友人たちに対してさえ、心を閉ざしはじめていた。

健康を取り戻すことはできない。しかし、死にもしない。こんな状態でも生きていかねばならない・・・。生きていくからには、できるだけ生活を美化しよう。自分自身の中にいつも幸福と平安を見出すようにつとめよう。みじめな現実を、想像力をもって美しく変えるんだ。世間並みのしあわせや、成功や、安定を、すべてあきらめたシューベルトが出した、自分自身への結論だった。(本文より抜粋)

『シューベルトが死んだ。そして彼とともに、われわれの持っていたもっとも明るく美しいものが死んだ・・・。』

(シューベルトの友人であり画家のMoritz von Schwindによる言葉)

この本を読んで、上に記したシューベルトの晩年の心の内と、友人である画家のシュヴィントが残した言葉が、今の私にとって一番深いところに残った部分です。

小5の生徒も今、同じ本を読んでいるので(これからシューベルトを取り組む小学生の子にいい本はないか?と探し始めてたどり着いたのがきっかけで、私も図書館で借りて読みました)、世代違う私たちがそれぞれにどんな観点で感想を持つのか、彼女が読み終えたら印象に残った場面や文を互いに交換しようと約束しています。楽しみです。

シューベルトの音楽人生を語る上で切り離せない友人たちとの時間、そして同じく友人たちの人生もやはり、シューベルトを囲んでみんなで彼の才能を信じ、なんとか広めようと結束して動いた時間はキラキラと美しく輝いたものとなった。

宮廷少年合唱団員として寮生活時代を送っていた頃、ウィーン大学学生であったシュパウンも同じ寄宿舎で過ごし、その寮オーケストラで先輩後輩という関係からはじまり生涯わたって続いていくシュパウンとの友情、そしてシュパウンから拡がっていく交友関係によってシューベルティアーデが誕生していくわけだが、シューベルトを取り巻く仲間の献身的で愛に溢れた深い友情に心温まり深く感動しました。

そしてそんな友人達に囲まれ助けられながら人生を歩んできた人間でも、人は結局ひとりなのだという悟りは人の生に通ずるところがあるなと思いました。

生きている中で様々な経験を重ねるごとに感情の襞が増えていき、感じ方や考え方も変わっていくものだけど、きっと10年前に読んでいたらまだ深いところで共感はできなかったかもしれない。そして、また10年後読んだらどう感じているかもわからない。

シューベルトの伝記を読んでいると、自身の才能を信じることにおいて謙虚すぎるところであったり、売り込みに消極的すぎるところに焦ったさや歯痒さを感じることがある。読みながらシューベルトが控えめ発言しようものなら「いやいや、そこ行っとこうよ!きっと世界広がるからっ!」て何度思ったことか。でも、それは今200年あまりの時を経て、彼の素晴らしい作品たちは後世に渡って受け継がれていっていることを知っている私の感覚であって、そういった面を持っているのがシューベルトの個性なんですよね。そして、歯がゆく思いながらも、そのシューベルトの性格からする発言、行動とてもよくわかるのです。純粋で、真剣で、計算高くなくて、シャイ。言葉並べて一人の人間のことを知ったように表現することは好きではないし、またそれだけの表現力も乏しい私ですが、シューベルトの純度の高い音楽はやはり彼の人間性の現れだと、彼の音楽に触れると思う。キュンと胸を締め付けられたり、ふわっと心地より世界へと導かれたり、優しい気持ちになったり、とてつもない絶望感に襲われたり、、、

今、シューベルトの即興曲作品142(D935)を弾いています。この作品は学生時代、20歳くらいの時に取り組んだのですが、今また紐解いてみると感じ方、味わい方が当然違って、新鮮な気持ちで作品と向き合っています。シューベルト最晩年の作品。うつろいゆく心を感じながら、シューベルトの心の内を作品を通して読み解いていけたらと思います。

1828年11月19日 Kettenbrückengasse 6番地 シューベルト最期の日

うわごとでずっとベートーヴェンを探しながら、、、12歳の時にベートーヴェンの交響曲第2番に出逢ってからずっとずっと憧れ続けてきたベートーヴェンを、、、その想いがシューベルトの唯一の遺言と兄のフェルディナントは受け取り、その想いを汲んで1年半前に旅立ったばかりのベートーヴェンの墓のすぐ隣に葬られた。

あんなに憧れていたベートーヴェン、そしてベートーヴェンと近づける機会も、そしてまたシューベルトからの一方的な憧れと尊敬だけでなく、年齢差を超えてベートーヴェンからも一人の音楽家としてシューベルトへの関心と敬意を抱かれて友情を育む機会はあったと思うのだけど、シューベルトのベートーヴェンに対する憧れの念が強すぎて生前叶わず、、、はじめましてと面識持つのはベートーヴェンの最期間近、ベッドに横たわるベートーヴェンが「シューベルトに会いたい」と言ったから引き合うこととなり、そのはじめましてから2年足らずで隣のお墓に入ることになろうとは。切ない、、、それから長い年月を経てベートーヴェンとシューベルト、いい友情を結んでいるだろうか。次、ウィーンへ行ったら、そんなシューベルトに想いを馳せながら彼の道を辿ってみたいと思う。

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